戦前・戦後の日本で、自らの規範による誇り、直感、プリンシプル(原理原則)を貫いた白洲次郎と、独自の審美眼と美の世界観を持ち続けた妻・正子。ふたりは我が道を生きながらも、互いの個性と生き方を尊重した夫婦だった。
コロナの影響によりワークライフバランスや地域とのつながりが見直される中、彼らは地方に住みながら中央の政治にも目を光らせ、その土地の暮らしと人生を楽しんだ先人とも言える。
そごう千葉店では、ふたりのライフスタイルを垣間見られる展覧会を、4月22日(金)から5月5日(木・祝)まで開催する。
3部構成で白洲一家の人生に迫る
会場は「武相荘」「次郎」「正子」の3部構成で、武相荘の部屋の再現4点と、180余点の愛用品と資料・写真を展示する。
夫婦の終の棲家となった邸宅「武相荘」
1942年、次郎40歳、正子32歳の時、夫婦は日本の敗戦を見越して南多摩郡鶴川村(現・東京都町田市)の農家を農地付きで購入し、「隠遁生活」を始めた。武蔵の国と相模の国の境にあることと、無愛想をもじって、夫婦はこの邸宅を「武相荘」と名付けた。
会場では武相荘のリビングを再現。夫婦の日々の暮らしの愛用品や、武相荘の写真・資料などを展示する。
自分が信じる「プリンシプル」を忠実に生きた「白洲次郎」
1902年、綿貿易商の白洲文平の次男として兵庫県に生まれた白洲次郎。英国ケンブリッジ大学に留学、帰国後は英字新聞記者になり、1929年に樺山正子と結婚した。
戦後1945年、吉田茂外相に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、GHQとの折衝にあたり日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任し、通商産業省を誕生させた。
1959年、57歳で東北電力の会長を退き政財界から身を引くと、晩年は車、日曜大工、ゴルフを楽しみ、カントリージェントルマンたる生き方を実践した。
展覧会では、マッカーサーに送った椅子の複製や、吉田茂からの書簡、日本国憲法関連資料や、留学時代を含めた趣味・ファッションなどの愛用品や写真を展示する。
日本文化や美を見つめ続けた「白洲正子」
正子は1910年、実業家の樺山愛輔の次女として永田町に生まれた。14歳で米・ハートリッジ・スクールに留学、1928年に帰国し、翌年に白洲次郎と結婚した。
1956年、銀座の染織工芸店「こうげい」の経営者になり多くの工芸作家を世に送り出すと、40代の頃からは取材や、能面を求めて各地を旅するようになる。文学・古典・古美術・旅を愛し、古典文学や工芸などについての随筆を執筆した。
展覧会では、武相荘の正子の囲炉裏部屋や書斎を再現。骨董や着物、正子宛の書簡などを展示する。
白洲次郎・正子に関するグッズを販売
展覧会には、夫婦に関連したオリジナルグッズや書籍などを販売するコーナーも登場。
充実した人生を過ごした夫婦の「生き方」から、現代をより良く生きるためのヒントを得たい。
そごう千葉店
所在地:千葉県千葉市中央区新町1000番地
白洲次郎と正子展
会期:4月22日(金)~5月5日(木・祝)
時間:午前10時~午後8時
※最終日は午後5時閉場、最終入場は各日閉場の30分前まで
会場:そごう千葉店6階 催事場
入場料金:大人700円 他
関連サイト:https://www.sogo-seibu.jp/chiba/topics/page/20220422shirasujirou.html
(IKKI)