映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が本日より公開される。ファンには待ちに待った瞬間だ。
しかし、なぜスター・ウォーズはここまで世界中の人たちを惹きつけ、“たかが映画”とやり過ごすことができないほどの影響力をもっているのだろうか。そんな疑問に対し、気鋭のフランス人哲学者ジル・ヴェルヴィッシュ氏が、哲学を切り口に「スター・ウォーズ」の魅力を紐解く意欲本『スター・ウォーズ 善と悪の哲学』(かんき出版)を発表した。
■「スター・ウォーズ」は哲学の宝庫
「スター・ウォーズ」は文化や記憶として共有されているだけではなく、もはや無意識レベルにまで深く浸透している。
娯楽作品だからこそ、ここまで幅広い層の人気を得ることになったのだ。
だが、「スター・ウォーズ」は見かけほど単純ではなく、ジョージ・ルーカス自身も決して無教養の人ではない。
ルーカスが神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を参考にしたことはすでに知られているし、「スター・ウォーズ」が神話をベースにしていることを指摘する本も多数、刊行されている。
精神分析学的な観点についても同様である。
そもそもジョゼフ・キャンベルには心理学者カール・ユングの影響が色濃く見られるし、ルーカスも心理学者ブルーノ・ベッテルハイムの著書『昔話の魔力』を読んでいる。
ルーカスの読書体験が、そのまま作品に生かされたわけではないという反論もあるだろうが、彼はカウボーイや海賊が登場する娯楽映画だけで育ってきたわけではなく、文化的教養があってこそスター・ウォーズは生まれたのだ。
■スター・ウォーズは「遠い昔、はるかかなたの銀河系で…」という驚くべき言葉で始まる。
人々はある種のスペース・オペラやSF映画を期待する。
テクノロジーが発達し、ロボットが普及した未来の話だろうと思う。
だがブルーノ・ベッテルハイムによると、昔話が「むかし、むかし」「むかしある国になどの言葉で始まるのは、おとぎ話の冒頭で子供たちにそれが架空の非日常の物語であること、「ずっと昔、人が願い事をすれば、たとえ山は動かせなくても人の運命は変えることができると信じられていた頃のことだと意識させるためなのだという。
そして、ベッテルハイムによれば、おとぎ話は子供の潜在意識に作用して、子供自身の問題を解決し、エディプス・コンプレックスをはじめとする心理的な葛藤を乗り越えて大人になる準備をうながすものであるという。
同じことがスター・ウォーズにもいえる。
ダース・ベイダーの存在は、オイディプスの父殺しを思わせる。いやスター・ウォーズそのものが、現代の神話なのだ。
◆スター・ウォーズの哲学とは
ドイツの哲学者であり、思想家のハンナ・アーレントは、「スター・ウォーズ」の登場人物や名場面、名台詞を哲学的な命題でどのように考えるか。
たとえば、ヨーダはどうやってドゥークー伯爵に対峙したのか。
グリーヴァス将軍がずっと咳をしているのはなぜなのか。
こうした問いについて考えることは、「人間は自由なのか、与えられた宿命を生きているだけなのか」という哲学の古典的命題に向き合うことでもある。
宗教はなくなるのか。
技術の発展を恐れるべきなのか。
たとえば「私は誰」という問いも哲学的な命題である。
「スター・ウォーズ」のなかには「私はお前の父だ」というセリフがあるが、ぜひ、ここから「スター・ウォーズ」を題材に哲学の世界に踏み込んでみてほしい。
【目次】
EPISODEⅠ 「お前の父だ」 人は自由なのか、運命は絶対か
EPISODEⅡ 「フォースのダークサイド」 悪はどこから来るのか
EPISODEⅢ 「戦争で偉くなったものはいない」 戦争は善か悪か
EPISODEⅣ 「フォースと共にあれ」 剣と哲学
EPISODEⅤ 「こうして自由は喝采のなかで死ぬ」 最良の政治システムとは
EPISODEⅥ 「君の信仰の欠如には困ったものだ」 宗教は消滅すべきものか
EPISODEⅦ 「野蛮なやつらめ」 技術は恐れるべきものか
EPISODEⅧ 「2つの顔と2つの名をもつ者」アイデンティティの問題
EPISODEⅨ 「あなたなんてきらいよ」 多様性は社会の障害となるのか
【書誌情報】
書名:『スター・ウォーズ 善と悪の哲学』
定価:1,600円+税
(Y.FUKADA)