Twitterにあふれる元サッカー選手、現役選手、ジェフユナイテッド市原・千葉のサポーター、全てのサッカーファンからの哀悼の意。
ジェフユナイテッド市原・千葉で2003年から2006年途中までの約3年半にわたり監督を務めたイビチャ オシム氏が、5月1日(日)に自宅のあるオーストリア・グラーツで逝去(享年80歳)した。
もし、2010年の南アフリカW杯で指揮を執っていたなら
いちサッカーファンとして、IGNITE(イグナイト)でオシム氏逝去の記事を書くことになるとは……。
イビチャ オシム氏は1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナで生まれた。監督歴としては、ジェリェズニチャル、ユーゴスラビア代表、パルチザン・ベオグラード、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツ、そして日本ではジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表の監督を歴任。
2003年にジェフユナイテッド市原の監督に就任し、05年には、2005Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝を果たす。Jリーグ通算成績は106試合49勝35分22敗。
翌06年、日本代表監督に就任したが、07年秋に千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れ、監督を退任。08年からの南アフリカW杯予選は、岡田武史監督が就任して戦った。
もし病に倒れることなく、W杯に日本代表監督して出場していたら、一体どう戦っただろうか。今もサッカーファンが想像するほど、“オシムサッカー”は日本サッカー界に鮮烈な印象を残した。
訃報に際し、ジェフユナイテッド市原・千葉は、「在任中はクラブの発展のために多大なるご尽力をいただきました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」とニュースでリリースした。
私たちがオシム氏からもらった最後の言葉
昨年、ジェフユナイテッド30周年記念事業としてオシム氏へ佐藤勇人CUOがインタビューを行った際に、オシム氏からいただいた言葉の一部をここに紹介する。
オシム氏:日本のみなさん一人ひとりにあいさつしたいが、日本は人口が多すぎる。よろしくといっているうちに舌が伸びてしまうかもしれない。
ジェフはジェフだ。本来はJ1にいるのがふさわしいチームだ。どうしたらそこに戻れるのか、考えなければ。
そのためには、チーム経費をできるだけ少なく、チームのクオリティをできるだけ高くしなければならないが、両立は簡単ではない。
ぼやぼやしていると、給料の高いチームに移りたいと言い出す選手が出てくるかもしれない。
残念ながら、サッカー界全体がお金に買われてしまったような状態だ。サッカー界が大地から離れて、ふわふわ浮き上がっている状態なのが心配だ。
サッカーで勝つにはお金がかかるようになってきている。しかし大半のチームにはそんなに資金はない。
よいアイデアを実行するにも先立つものが必要だ。しかし、そこで大切なことは、どんなポストについていても、明日の世界がどうなるのかを常に考えて、そなえることだ。
過去のことは過去にすぎない。くよくよしても仕方がない。しかし、明日のことを考える時に、過去の失敗の例を振り返ることは役に立つことがある。とくにサッカーのレベルアップをめざす時にはそうだ。
サッカーには金がかかるようになった。日本のサッカー界も同じだ。そう感じるだろう。この前のオリンピックも、そのための国際会議も、莫大なお金が使われた。
使ったお金は返さなければならない。そのためには稼がなければ。大事なのはアイデアをだすことだ。頭を使うことだ。
さまざまなアイデアを出すことが革新につながる。もちろん全部のアイデアが採用されるわけではないが、未来を予測して、それに見合ったアイデアを出すことが大切だ。
一歩一歩、進んでいくしかない。
勇人CUO:ブラボーと言ってください。
オシム氏:ブラボー。ありがとう。いい仕事をするためには、誰かいい相棒を見つける必要がある。
何人かでアイデアを出し合えば、ひとりよりももっといいアイデアが出てくる。
勇人と話せてよかったよ。元気そうでよかった。
もし監督が必要ならここにいるぞ。選手がほしいならいってくれ。みんなによろしく!
じゃあまた、チャオ!バイバイ!
(MK)