まだまだ明らかになっていない古代の謎。愛知県豊橋市「口明塚南古墳(くちあけづかみなみこふん)」の発掘調査で、全長10メートルの大型横穴式石室を確認したという成果が発表された。
全長10メートルの大型横穴式石室を確認
愛知県豊橋市の国史跡「馬越長火塚古墳群(まごしながひづかこふんぐん)」は、古墳時代後期後葉から終末期にかけて築かれた有力な首長たちの代々の墓で、穂国造の墓域と考えられる。
古いものから順に、馬越長火塚古墳(前方後円墳・70m)、大塚南古墳(円墳・18m)、口明塚南古墳(円墳・23m)の3基の古墳からなる。平成28年3月1日に国の史跡に指定された。
口明塚南古墳に石室があることは平成21年に確認されていたが、石室の規模や構造を確認したうえで馬越長火塚古墳群の整備基本計画を策定するために行った今回の調査で、口明塚南古墳に10メートルの大型横穴式石室を確認した。
全長10m、最大幅2mの大型横穴式石室で、1mを超える大きさの石材が使われるなど、7世紀前半の石室としては極めて大型の部類。
東三河地方では長火塚古墳に次ぐ規模を誇り、6世紀後半から7世紀前半にかけて東三河一帯を支配していたと考えられる豪族「穂国造(ほのこくぞう)」の墓にふさわしい古墳といえる。
長火塚古墳の伝統を受け継ぐ石室
確認された石室は、「立柱(りっちゅう)」と呼ぶ柱状の石材を立てて石室の内を区分した、「三河型横穴式石室」。石材には付近で産出される石灰岩を選んで使用しており、チャートなどその他の岩石が多く使われる付近の古墳とは対照的だ。
同様の特徴は長火塚古墳や大塚南古墳にも見られ、馬越長火塚古墳群の三代にわたる有力者がこだわり、守り続けた墓の伝統だ。古墳時代の豊橋市北部の古墳に、石灰岩が特別な意味を持っていたことが分かり、当時の人々の横穴式石室の石材に対する観念(思い)がうかがわれる。
古墳上部は大きく削り取られ、今は柿畑の一部になっている。また、発掘すると以前に石室が破壊され、岩石が抜き取られたた痕跡が見られた。
これは1590年代に吉田城の石垣を作る際に大量の石材が必要となり、その際に古墳の岩石が使われたとする地元の人たちの伝承を示すと思われる。
一般的には、新しいものになるにつれ、古墳の規模が小さくなっていくものだが、今回の調査で確認された石室は、大塚南古墳と全長は近いものの横幅などは大きく、長期間に渡り権力が保たれていたことがうかがえる。
新たな発見がある発掘調査、そこには大いなるロマンが存在する。豊橋に行った際は訪ねてみたい。
(冨田格)