湯河原「富士屋旅館」令和初の国の登録有形文化財登録へ

文化財建造物を後世に幅広く継承するために登録される、登録有形文化財。湯河原の「富士屋旅館」の旧館が、令和初の登録有形文化財(建造物)へ登録されることが決定した。

 

■関東大震災でもほぼ被害を受けず優美な姿をいまに残す「富士屋旅館」の「旧館」

藤木川に沿って建てられた二階建ての楼閣風建築には、客室の座敷飾り、縁側、廊下など外回りの建具に繊細な組子入り硝子戸が多用されるなど、上質な大正期の建築の特色が色濃く残る。

関東大震災でもほぼ被害を受けず優美な姿をいまに残す「富士屋旅館」の「旧館」。近代和風建築を知るうえでも貴重な建造物と認められ、今回の登録に至った。湯河原町では過去に有形文化財に登録された宿が3軒(上野屋、藤田屋、伊藤屋)あり、富士屋旅館は4軒目の宿。

■約100年の時を経てよみがえった富士屋旅館のシンボル

現存する「富士屋旅館」の建物の中でもっとも古い「旧館」。檜の三寸六分角柱を用いた細身の建築で、外から見ると瓦葺入母屋造の角屋が双楼風に突き出しており、約100年の時を経てよみがえった富士屋旅館のシンボルとなっている。

 

 

旧館と渡り廊下でつながる「洛味荘(らくみそう)」。もとは8室あった客室を4室に間取り変更し、ゆったりとした造りに。特徴的な建具などからも当時、洛味荘が贅を尽くして造られたことをうかがえる。

 

傷みが激しかったため骨組みだけを残し、2019年、古き良き時代の日本のホテルをイメージした和洋折衷の建物へとリニューアル。洋室8室と唯一当時のレイアウトを残した和室2室がある、洗練された機能性の高い建物。

■富士屋旅館は明治9年に旅館を始めたと伝えられる

幕末の湯河原には旅館が6軒ほどあったようだが、当時は農業の傍らに宿泊客を泊めるのが主で温泉も外湯であったといわれている。明治30年頃には藤木川沿いに10軒程の温泉旅館が建ち、静寂な温泉保養地として文士らに知られていた。

大正7年に出版された「湯河原案内」には14軒の温泉旅館が紹介されており、中でも伊藤旅館、富士屋、中西旅館、天野屋は豊かな自然と庭園の中に本館、別荘など多くの建物が建ち、優れた風致を形成していたといわれる。

富士屋旅館は明治9年に旅館を始めたと伝えられる。「湯河原案内」によると、富士屋旅館は雅称を「聚芳園」といい、藤木川に架かる橋を渡ると広い園中には楼閣、別塁が列し、園内の花卉は四季絶えることがなかったという。

昭和43年に建て替えられる以前の本館は幕末期の建物であったと伝えられ、橋を渡り庭に出ると正面に玄関があったといわれる(現新館玄関部)。

大正12年に橋の左側に3号館(現旧館)と呼んでいる建物が新築され、同年9月の関東大震災時には2階も建ち上がっていたが被害は少なかったという。

この建物に渡り廊下で続く、西側の洛味荘は昭和26年から29年に京都より材木を運んで建設されたという。

 

首都圏からも近い湯河原。源泉掛け流しの温泉や土地の恵みをいただきながら、ゆったりと歴史ある建物を体感してみては。

富士屋旅館:http://fujiyaryokan.jp

(MOCA.O)